(そのまま掲載しています)
◎想定外を楽しむインプロ
◎「この一年で感じたこと」
私は日本語教師ですが、仕事に役立てようと思ってカニに来たわけではなく、
高校のクラブ活動以来遠ざかっていた演劇をもう一度やり直したいという気持ちで来ました。
色々なジャンルの演劇があるけど、何を選んでいいかわからなかったし、小学校の「おたのしみ会」でやった即興演劇が好きだったし、
即興なら仕事のように準備しなくてもいいだろう、と。
初めてカニを訪れた時、やみくもに演じ?ながらも
「これがやりたかったんだ!!」とすごく嬉しかったのをよく覚えています。
人間としても職業人としても未熟な27才の私にとって、カニは日本語教師という枠を越え「わたし」を見つめ直す場だと思っています。
まず「わたしは?」と内省し、手一杯の時期をくぐり抜けたら「あの人(仕事の相手、友人知人など)は?」と想像し、
その次にいつか「あの人『に』どうだろう?」と応用するステップがあるとすれば、
今の私はまだ「わたし」と「あの人」の間を行ったり来たりしています。
でもその気持ちをいつまでも忘れずにいたいとも思います。
昔からマイペースで、何人かの知人に「空気が読めない」と言われた私ですが、最近、人との間に「空気」とか「呼吸」を感じるようになりました。
教案に書いていないことでも、「この人はどんなことが言いたいんだろう?」と
心の耳を澄まして、その場に応じた語りかけができるようになった気がします。
まだ亀の歩みですが。自分ひとりが受けを狙うのではなく、相手を感じて、
共に笑ったり面白がったりできることのほうが、はるかに価値があると知りました。
「あなたわたし」や「サンキューゲーム」を通して、しっかりと相手を見つめ、気持ちを送ること・届けることの大切さを知りました。
(物理的・心理的に)遠い相手ほど「ありがとう」の気持ちは、はっきり伝えないと届かないんですよね。
「ジブリッシュ」では、言葉だけに頼っていた自分を痛感しました。下手な英語でも
気持ちをこめてもっと堂々と話せばよかったんだ!!きれいな言葉じゃなくてもいい、目の前の「あの人」に伝わることが一番大切なんだ、と。
長くなりましたが、カニで感じたことはまだ語り尽くせないぐらいです。
これからも何か感じることがあるでしょう。
(同じゲームをやっても、感じることは毎回違うので)
さくさく
◎日本語教育を専門としている大学院生です。
友人の勧めでファンコムジャパニーズ(日本語教師向けのカニクラブ)に参加したのが、「カニ」との最初の出会いです。
その時は、日本語教育の現場に活かせる何らかの情報を得たいという気持ちだったと思います。
でも今は、参加すると気持ちがいいからとか、特に心がボロボロになったときには癒されたいからという単純な理由で参加しています。大学院のようなところにいると、時々「ことば」を発するのが辛くなります。
ある教授が「ことばは思考を伝達するもの」と言いました。
それは確かにそうなんですけど、自分の思考を他者に伝えるために論理的になろうとすればするほど、「ことば」が私から離れていくのを感じます。「カニクラブ」にくると、「ことば」が私に寄り添ってくるのを感じます。
他者の「ことば」に心と体が反応し、そのままの「ことば」を発している私に気がつく。
私の発した「ことば」が反響していく…。その「ことば」に伴って心も体も動いている。共鳴している。
自分の心の声、体の声に正直になれるという感じです。それがとても気持ちいいのです。私にとって「カニクラブ」は人間としての自然の姿を取り戻せる場所なのです。
日本語教師として感じることは、私が自分の心や体の声に正直になることによって、
私の目の前の留学生たちの心や体の声が前よりも聞こえてくるようになったということです。それは私にとって、何らかの新しい情報を得るより、ずっとずっと有意義な収穫でした
◎『即興カニクラブの魅力』
カニクラブのインプロと出会って、丸3年が過ぎた。
最初の頃は、即興で演じることが気が重くて、中野駅を降りたのに、カニの扉を開けずに家に引き返したこともあったが、
今ではすっかりカニのインプロが体じゅうにしみわたっている。
私にとっての大きな転機は、「カニの3」クラス(シアタースポーツ)への参加だった。
チームを組んで人前で演じる「シアタースポーツ」形式のインプロのショーをカニでは「大紅白戦」と呼んで、年2回程度開催し続けている。
2003年夏、
誘われるままに足を踏み入れたシアタースポーツで、チーム(「男所帯」)の仲間と出会い、
人前で演じる難しさ、チームで「イエスアンド」できた時の一体感、参加メンバーみんなでひとつのショーを作り上げる悦びなど、
さまざまな時間・空間を経験することができた。
そして、日曜日のカニのワークショップに戻ってくると、インプロのよさ、すごさ、奥深さを以前よりも一層感じるようになったのだ。
皆さん、ぜひ一緒に「シアタースポーツ」しましょう!
チーム「男所帯」すぅ
◎「‘自分らしさ’ということ」
学生時代の友だちに「変わってるというのは、私にとって誉め言葉」と言う人がいました。
彼女はどちらかというとおとなしくて目立たないタイプだったので当時は「はぁ?」と思いましたが、今はその気持ちがわかります。
私もきっと同じでした。個性的と思われたくて、妙に作り込んだ演技をしたり、わざと周りの人と違うことをやろうとしたり。
しまいにはそんな自分が嫌になって、演じることをやめました。
今、カニに参加してみて思うのは‘自分らしさ’というのは変に作り込んだり、意図しなくても自然とにじみ出るものだということです。
「ひとりにならないで」というゲームがあります。全員が気持ちを合わせることを目指していても、なぜか一人(or数人)だけ違っていたり、ばらばらに分かれてしまったり。
まあ時にはあえて主張したくなることもあるのかもしれませんが・・・
本人に受けを狙ったり、我を張ろうとしたつもりがなくても、ふと現れる違いにはいつも新鮮な感動があります。
そんなふうに自然とにじみ出るのが‘自分らしさ’ではないか?と思うようになりました。
いま、私自身と、カニに集まる一人一人の‘自分らしさ’がとても楽しいです。
◎「大人になって忘れてしまったものを取り戻す機会」
40歳になり、自分では変わっていないつもりでも、いつの間にか大人になっていました。
インプロをしてみて、自分を振り返って、大人と子どもの違いというのが、気持ちを遊ばせていられるかどうかということに気が付かされました。
こどもはひとりでも、他人には見えないだれかと遊んでいたり、友達といっしょのときも棒切れ一本がいろんなものになったりしますけど、
そんなこども時代を思い出しました。大人になったからこそ気持ちを遊ばせることが大切なような気がして、
今それを楽しんでいます。大切なものをとりもどしたような気持ちです。
40歳 会社員
◎文字や公式など教科書に書かれていることを教えられるのではなく、自らつかんでいくことを体験し覚える場所としてのインプロ。
もともと人間は教えられるより、自分で覚えていくことのほうが多いと思う。
ただ、そこで自ら覚えていくことを後押ししてくれる人の存在は、その人にとって、
とても大きいはずだ。そんな体験が、さらにそれを他人に伝えようというものになって、だんだんに成長するんじゃなかろうか。
カニクラブのインプロは最低限のルールと2時間半から3時間の中での流れと参加者があり、
そこで自分で感じられることの大きさは計り知れない。ぐっとこらえているのかどうかわからないが、なるべく教えることをしない先生たちも立派だ。
場合によっては、自分がなにをやっているのかわからないときもあるが、数回数を重ねてみると、溜飲が下がるというかとても腑に落ちる瞬間がある。
人間同士、教科書どおりに教えてもらえたり、教えられることは多くないと思う。
自ら見つけて、自ら学ぶ体験はいくつになっても新鮮で楽しい。
本当だったら教えてもらえるはずのないことを教えてもらっている。
感謝、感謝。
45歳 会社員
◎私はインプロに出会ってまだ3ヵ月と日は浅いのですが、
早くも自分自身に変化が起きていることに気付きました。
先日電車に乗った時のことです。何気なく空いていた席に座ると、隣の人が突然独り言を言い始めたのです。
いえ、私が電車に乗る前から言っていたのかもしれません。
その人のそばだけ、少し不自然に席が空いていましたから。独り言はやみません。
言葉もはっきりせず、何を言っているのか分からないのですが、私には、その人がとても楽しそうに見えました。
しだいに言葉だけでなく、動作もだんだん大きくなってきました。
以前の私なら彼から離れようとしたかもしれません。ところがその時の私は、
彼が私に話かけてこないか期待していたのです。私には、自信がありました。
彼が話しかけてきたら、きっと、彼に勝るとも劣らない大きな動作で、
私は彼に話しかけたに違いないのです。他の乗客の視線など歯牙にもかけなかったでしょう。
私は無意識のうちに、彼とイエス・アンドしようとしていたのです!
次の駅で彼とお別れしましたが、とても爽やかな体験でした。
自己啓発で始めたカニのインプロ、早くも芽が出はじめています。末吉孝成